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流産経験1:妊娠7週半ばで流産の診断を受けた時のこと

目次

はじめに

私が最初の流産をした時のことを綴ってみます。無事に妊娠出産となれば、この出来事は何てことのない人生の一コマになったはずです。ただ、残念ながら流産に終わり、その上で麻酔無しの掻把手術というほとんどの人が経験しないだろう強烈な体験により、その後の自分の妊活や不安感に様々な変化をもたらしました。

生理予定日1週間前|プロローグ

27才、結婚して半年後のことです。
千葉県の北と真ん中辺りにそれぞれ実家がある私達は、某大学の先輩後輩でした。(夫が一浪で後輩、私が先輩、同い年)

結婚後、調布市内の小さな社宅に引越しをし、新しい生活を始めていました。お互い都心の会社勤務。毎日、満員電車でもみくちゃにされながら通勤していました。家には私がお嫁入りの時に連れてきたセキセイインコの「グリちゃん」がいて、2人と1羽で仲良く穏やかに暮らしていました。

暑い夏を迎えるころ、私は38度を超える高い熱を出し病院で診察を受けました。その当時は子供を作る予定はなかったので「妊娠はしていない」と申告し、抗生物質を出してもらい飲み切りました。それが、生理予定日の1週間前のこと。

妊娠の兆候と生理の遅れ

生理予定日直前|妊娠の兆候

生理予定日前から、胸が痛く強いヒリヒリ感がありました。更に、熱っぽいような怠いような体調不良も感じ、仕事中も普段より強い眠気に襲われました。通勤時は緊張しているためか?電車の中で眠れない性質だったのですが、会社帰りに座れた時はいつの間にか寝てしまい乗り過ごして慌てた日もありました。

5週目終わり|生理の遅れ→妊娠検査薬陽性

生理に関しては1日目から2日目にかけて重くて辛い以外は特別に問題もなく、28~29日周期で安定していました。

ところがその月は30日目を過ぎても生理が来ません。生理予定日(最後の生理から28日目)を1週間過ぎた頃、「まさか?」と思いつつ妊娠検査薬を購入。自宅に戻りテストしてみるとクッキリ陽性のラインがでていました。

陽性になったのは最後の生理から35日目のこと。妊娠週数で言うと「5週目の最後の日」でした。

妊娠週数とは
  • 妊娠0週(生理 1~ 7日)※生理中
  • 妊娠1週(生理 8~14日)※11日目くらいから妊娠しやすい。
  • 妊娠3週(生理15~21日)※生理17日目位までが妊娠しやすい。妊娠なら着床。
  • 妊娠4週(生理22~28日)※受精卵が分割し、胎児を形成。
  • 妊娠5週(生理29~35日)※早い人は悪阻を感じる。

妊娠5-6週|妊娠初期の腹痛と出血

この頃、会社帰りに本屋に立ち寄り妊娠の本を買いました。

私は、妊娠に対して無知でした。知っているのは「妊娠すると悪阻があってお腹が大きくなる」程度でした。妊娠した時、自分の身体がどのように変化するのか、詳しくは知りませんでした。なので、妊娠初期の変化にとまどい、小さなトラブルに適切に対処することが出来ず、辛いときは休みつつも普段通りの生活をしていました。

妊娠初期のお腹の痛み

大学卒業して入社した企業。27才当時、今から思えばスーツを着てバリバリキャリアウーマンでした。打ち合わせでの外出もあり、私の下でOJTをする部下もつき、責任も持ち忙しさに追われる毎日でした。そんな中、妊娠がわかり…、時折の腹痛に「妊娠するとこんな痛みがあるのかな?」と不安を抱きつつ、妊娠本の「妊娠初期は子宮が大きくなるために痛みが出ることもある」という一文に「それで痛いのかもしれない?」と深刻になりすぎないように自身を納得させて過ごしていました。

実はこの頃から時々お腹の鋭い痛みがありました。それと、お腹が硬くなってコチコチにもなりました。今から考えれば「お腹の張り」だったのかな?とも考えますが、当時は「張り」がどんなものかもわかりませんでした。「妊娠すれば身体も変わるのかも」と思い、真剣に考えていませんでした。というか、考えないようにして気楽に思っていたところもありました。

妊娠初期の出血

更に、少量の出血もありました。量にしてみるとそれ程ではないのですが。出血はその時々で止まり、続くことはありませんでした。

6週目半ば|義両親からの電話

7月のある日、夫の実家から電話がきました。8月に行われる法事の件です。

夫の実家は千葉の県庁所在地です。千葉市はとても広く田園風景の残る自然豊かな場所も多々残っていますが、夫の実家もそういう場所です。近所には夫の姓と同じ家がいくつかあり、近い親戚から遠い親戚までが程よい距離の千葉市内に住んでいて、本家とか分家とかがあり屋号などもあります。夫の両親と祖父母の一軒家がそれぞれ1棟ずつ合計2棟が敷地の中に建っていて、食事は夫の両親の家に祖父母を呼びみんな揃って食べる、という具合です。食事は義母が作ります。

私は東京生まれ東京育ち、後に家族で千葉に引越しますが、核家族で育った3人姉妹の長女で親戚付き合いも簡単なものでした。好きな時に遊びに行ったり遊びに来たりという自由なものです。親戚一同集まっての行事などあまり覚えていません。父方と母方の祖父母は両方とも東京都内に住んでおり、地元地域の行事やお祭りなどがあれば好きに参加する程度で、夫の実家のように地域に根差して各家庭が協力して盛り上げるようなことはありませんでした。

そして、そこの長男坊である夫は同居も期待されています。普段から消防隊や子安講など地域参加機会も多く、近くの神社の祭りには駆り出されお手伝いをし、お盆など季節の行事もしっかり行われます。今回の法事も大掛かりに実家で行われることになっていました。夫の実家に親戚一同勢ぞろい、大勢の方のおもてなしと準備が必要です。

前置きが長くなりましたが、その打ち合わせの電話でした。

義両親と自分の親に妊娠の報告をする

電話をしながら魔が差してしまったのかもしれません。大規模なお手伝いに不安を感じたのかもしれません。義両親に「妊娠していること」をこの電話で報告してしまいました。そしてその後、義両親に話したなら自分の親にも知らせなくてはと、電話で妊娠報告をしました。

今考えると、初期に妊娠の報告を親にしたのは早計だったとわかります。もう少し事情が分かっていれば、妊娠の報告も「もっと安定してから知らせよう」とも思えたかもしれないです。

私は、妊娠すれば赤ちゃんは生まれてくるものだと考えていところがありました。

妊娠6週目半ば(40日目)|人生初めての産婦人科

妊娠初期の診察。胎児確認。心拍は確認できず?

仕事休みの土曜日午前中、家から一番近い産婦人科へ行きました。義両親に報告したのと同じ時期です。6週目半ば、最後の生理から40日目くらいのこと。

陽性になったので妊娠しているとは思っていましたが、経腟超音波診査で子宮内の胎児を確認。妊娠していると告げられます。心拍については何も言われませんでした。その日は出血もなかったけれど、この1週間に腹痛と出血があった旨を伝えると、「それほど心配することはない」との見解でした。お腹が痛いときには休むように、とのこと。

ところが、病院に行った直後から少量の出血がラダラと続きます。もしかしたら「診察の刺激で出血したのか」とも思っていました。さすがに不安になりますが、簡単に会社を休めず、医者の「心配ない」との言葉もあり気を遣いながらも出勤していました。

妊娠7週目半ば(47日目)|出血→進行性流産の診断

なんと、1日の仕事が終わるころに多めの出血がありました。念のためナプキンつけていたのですが、それでも危なかったほどの出血でかなりよくない状態と感じました。仕事を早めに切りあげてすぐに病院へ向かいます。

診察の結果、「進行性流産」とのこと。出血もあり流産は進行している状態だが、ここを乗り越えれば無事に育つこともあるらしいです。

会社を休む

少しでもお腹に力を入れると出血するような状態では満員電車での出勤はとても無理と、この日以降会社を休むことになりました。会社にも迷惑をかけますが。とりあえず、先の見えない状態で休みを申請します。

出血は黒っぽいもので、お腹に力を入れるとスルンと出てくる感じです。なるべく下腹部に力を入れないように休み休み過ごしていました。自宅で過ごす安静の程度は、「外出はしないが、それ以外はゆっくりと普通に過ごす」状態。家事も差し障りない程度にはしていました。

妊娠7週目終わり|自宅にて大量の出血

数日後、大量の出血がありました。サラサラではないドロッとした血が大量に出ました。トイレで拭き取ってもまた出血、目の前がクラクラし身体もフラフラで「これはもう駄目なのかも、何か大変なことになった」と感じながら夫に電話をします。

すると有難いことに「早退する」と言ってくれ、私は床に寝っ転がったままお腹に力を入れないようにして夫の帰宅を待ちました。帰宅後、既に腹痛と出血で立ち上がるのも辛い私を抱え、シートにゴミ袋を敷いてもらった車で病院へ行きました。

病院での診断は不全流産

病院は空いていてすぐに診察を受けることが出来ました。診察の結果は不全流産。「いるべき胎児は超音波では見えなかった」とのことでした。

先週は、進行している流産と告げられたけれど、「出血してもなんとか大丈夫では?」「このままがんばろう」という気持ちでいたのですが、「もう駄目なんだ」と…「もう頑張っても何をしてもダメなんだ」と自分で理解し、「妊娠ってこんな風に終わるんだ」と思い知りながら医者のその言葉を聞いていました。

掻把手術

胎児の組織が子宮内に残っていると予後がよくないとのことで、「子宮内をきれいにする手術をする」とその場で言われました。あれよあれよというまに、診断後そのまま手術となりました。

手術部屋に入り、診察台に横になると膝を立てた状態で下半身と脚を固定されました。初めてのことで何が何だかわからず指示に従いました。年配の看護師さんが私の顔を見ながら「少しの間我慢してね」と言い、私は腕も固定されました。

麻酔無し?

私は本当に無知だったのですが、流産した時の手術はこういう風にするのだとその時は素直に思いました。それでも、内心はとても不安で、異様な光景に思え、「麻酔はしないんですか?」と看護師さんに聞くと、それには答えずに「すぐに終わるから」と言われます。そうなのか、「我慢しなくちゃいけないのか」、そういうものなんだろうと理解し横になりました。

足元に医者がきて「始めます」と…。もう最初から最後まで、この世の物とは思えないほど、失神するほど痛かったけど最後まで失神はしませんでした。途中で辛くて痛くて「意識がなくなってほしい」と願ったけれど、ずっと意識は残ったままでした。夫のいる待合室まで私の声が聞こえていたらしいです。私が病院を訪れて帰るまで、他に誰も待合室にいなかったそうです。

時間にして20分程の手術でした。手術後に胎児を見せてくれました。経腟の超音波検査では見えなかったのですが、胎児はちゃんと子宮内に留まっていました。この時見た胎児の姿は何年経っても鮮明に覚えています。

お腹の中にいた期間は短かったけれど、もう眼もあって肌色をしていました。もし、命が続けば私の可愛い赤ちゃんになったかもしれない、小さな胎児でした。

手術直後

病院で30分ほど休ませてもらいました。30分経って帰ろうとベットから降りようとしたけれどフラフラです。立ち上がろうとしたけれど貧血なのか?めまいも酷くて、倒れそうでした。結局、夫に抱えられながら帰宅しました。

夫は、帰りの車の中で「ユウの我慢しながらも叫ぶ声を待合室で聞いていて涙が出た」と言いました。夫も私と同様、妊娠も流産も手術も全てが初めてで、麻酔をしない掻把手術のことを「そんなものだろう」と受け入れていました。

帰宅後も、私は自力で起き上がれない状態でした。私がグッタリと横になっているそばで、夫はお互いの実家へ流産報告をしていました。

今から考えれば、妊娠の報告も流産の報告ももっと落ち着いてからでよかったんだな、と思います。自分の気持ちより、こうしなくちゃ、こうあるべき、が先に立って義務や責任感で動いていたように思います。

掻把手術後の治療や生活

服薬:抗生物質 子宮収縮剤 (手術当日から1週間)

手術後の養生と退職

麻酔無しでの手術は、流産をした事実以上に強烈な体験となりました。拷問でした。

この1か月の様々なダメージが重なり、何も考えられずに身体を癒す日々でした。手術後は下腹部に強い痛みがあり、この痛みで2日ほど全く眠れず体力も気力も消耗していました。結局、1週間、ずっと安静のまま寝たきりで過ごします。

「元気になったら元のように…」とも考えていたのですが、もう何もかもが辛くなり、身体的にもいつ仕事に復帰できるか?先の見通しが全く立たず、自分で想像しようとしてもこの先どうなるのか皆目見当もつかず、「頑張ろう」とか「職場に行こう」とか気持ちを奮い立たせることも出来ず、あんなに頑張っていた仕事も今までのように頑張れる気がせず…、更に1週間ほど休んだ挙句に退職の意思を伝える電話を入れました。

私がいないことで迷惑はかけましたが、私がいなくても大きな組大きな企業です。優秀な人材はいくらでもいて、私無しでもちゃんと仕事はまわります。書類は郵送でのやり取りで済ませ、残っていた私物は宅配便で送ってもらうことになりました。

掻把手術1週間後|この病院にはこれで最後の通院

7週目終わりの掻把手術から1週間。手術後初めての診察を受けました。あんなに大変な思いをしたけれど、既に私の身体は妊娠状態ではなくホルモン数値も問題ありませんでした。診察と検査を行い、「今後は通常の生活でよい」と言われ病院を後にしました。

掻把手術から38日後|流産手術後の身体→生理

身体ってすごいです。手術日から38日後、無事に生理が来ました。痛みは強く感じましたが、他は特に問題なかったです。

流産の経験を通して。私の変化

会社はそのまま辞めることになり、自宅でのんびりとインコと過ごす日々です。

何も考えずにいたけれど、初めての妊娠や流産を経験したこと、更にはあの手術を経験したことで色々な不安が消えるまでは妊娠したくない気持ちになっていました。また、この経験をシェアする場所も人もいなかったので、誰にも話さず引き籠り気味に暮らしていました。

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